お金を介さないという「技術」

教養部門「自然の楽しみ方」ライターのSally(サリー)です。

3月にニュージーランドの自宅を売却して以来、
ずっと旅をしながら色々なところに滞在するノマドな生活を送っています。


というと聞こえはいいですが、特に計画していた訳でなく、
家というベースがなくなったので、旅先で色々な人の家に滞在させてもらっている、
というのが実情です😅

旅行好きの家庭に育ったものの、旅はいつも計画的で、
宿泊先もいたって普通のホテルや旅館。人の家に長期滞在するなんて、
気疲れしてしまいそうで、
以前はオプションにすらありませんでした。

そんな私がニュージーランドに移住して、ハイキングにはまり、
山小屋やテントで友達や他の宿泊者と雑魚寝をするような経験をしているうちに、
そんな思い込みもいつの間にか外れてしまったのかも知れません。

この半年間、ニュージーランドでは友人の家にフラットメイトとして同居させてもらい、
旅を始めてからは、友達と共に計画を立てないロードトリップをしたり、
親戚や友人を訪ねて家に泊めてもらったりしました。

逆に日本の実家(九州の南阿蘇)には多くの友人を招き、
そのうち2名はノマドとして2ヶ月ほどの長期滞在をしてもらいました。

そんな賑やかな日々の中で、面白いことに気がつきました。
それは、お金を介さずに人の家に滞在させてもらう、
もしくは滞在させるというのは、ある種の技術だな、ということ。

実家に長期滞在していた友人たちは、いずれも外国人の男性だったのですが、
それぞれに料理をしてくれたり、家事や力仕事を手伝ってくれたり、
地域の人に新しい文化を伝えてくれたり、
そして何より明るいエネルギーを毎日生み出すということをしてくれていました。
そんなお客様は、たとえ無償であっても大歓迎、「いつでもまた来てください」となりますよね。

NZで管理職をしていたときによく言っていたのですが、
仕事でも従業員が「居てくれたら助かる」さらには「居てくれないと困る」
というところまで行けたら従業員の勝ちで、
その人は会社からとても大切に扱われる存在となります。

お金を介さない無償のやりとりもこれと同じ、むしろもっと顕著。
無償で「いつでも来てください」と言ってもらえる友人や場所がたくさんあるのは、
それ自体が貴重な財産であり、
この財産を築くのには「喜んでもらえる」という技術が必要である、ということ。
(本田健さんも以前どこかで同じようなことを言っておられたような…)

今ちょうど、外国人の若者を日本に受け入れる仲介をお手伝いしているのですが、
若い人には旅やノマドの経験をつうじて、
こういう技術や財産をどんどん身につけて身につけて欲しいなぁ…と思うようになりました。

もとい、若者に限らず、私のようなアラフィフの方々も含め、
冒険に遅すぎるということはありません。
どんどん新しい経験に挑戦して、新しい人と出会って、
新しい自分を発見するという旅を続けていけたらと思っています。
(そして冒険は、わたしのような物理的な旅だけでなく、
職場やエールのようなオンラインのコミュニティでも可能です🙂)

次回は久々にニュージーランドから、
また現地の妙齢のハイカーが集まるハイキンググループの活動などについて
お伝えさせていただきますね。

投稿者プロフィール

OtakeSally
OtakeSally自分軸&リーダーシップコーチ
自分軸&リーダーシップコーチ
ニュージーランド在住/アメリカ心理学学士
ナチュラルな女性のリーダーシップの在り方、自己イメージと意識レベルを変えるためのイベント等を2カ国で展開
(https://lit.link/SallyinNZ)
パラレルキャリア専門エール通信

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