スキルアップ部門「グローバル時代のコミュニケーション」ライターのSally(サリー)です。
前回のコラムでは、家族というテーマでお伝えした「個人主義と全体主義」について、
今回は仕事や職場という切り口で考えてみたいと思います。
4月に入り、日本では通勤電車の中でフレッシュな新入社員さんを見かけるようになりますね。
企業側も入社式などを催して新入社員さんを歓迎します。
実はこういった風景は、海外、少なくとも私のいるニュージーランドでは
見かけることはありません。
なぜか?
それは、就職にそもそも「新規」や「中途」という考え方自体がないからです。

終身雇用という思想自体がなく、多くの人はたとえ良い仕事についていたとしても、
常に「より良い仕事」を積極的に探していて、
求人サイトで気になるポジションを見つけたら、とりあえず応募してみる・・・と
いうようなことをしています。
企業側も基本的に「その仕事をする技能がある」ということを理由に、
率先力を期待して採用します。
つまり雇用とは「能力」と「対価」の取引きであり、それ以上でもそれ以下でもない。
なので転職は人生のステップアップと捉えられていて、
そこに義理や恩などといったセンチメンタルな空気ななく、
見送る側も見送られる側も、笑顔で和やかに感謝や励ましを贈ります。
一般的に、企業という組織に対する考え方が、日本と海外ではかなり違っているのですね。
海外では、組織は「能力のある個人の集まり」であり、
職場においての求人は、必ず「Job Title」というものが提示されます。
これは「システムエンジニア」とか「データアナリスト」といった、職種の呼び方のこと。
海外では、このTitleがとても大切で、個人の履歴書でも「自分はこういう仕事のプロです」と
いうことを必ず明記します。
日本では、この企業内でのJob Titleがあまり明確ではなく、「お仕事は?」と聞かれた時に、
「OO社のOO部で働いています」と言うことが多くありませんか?
海外が「組織は個人のプロの集まり」であるのに対して、
日本では「会社という組織の中に個人が所属している」というイメージ、
つまり、全体主義でとらえられることが多いような気がしています。
わたしはその両方を経験しましたが、どちらが良い、悪い、ということは言えません。
ニュージーランドの企業は個人主義過ぎて、個人の間、Job Titleの間で、
いつのまにかどこかに消えてしまう業務があったりして、
組織としてのサービスの質という意味では、日本には敵わないな・・・と思います。
対して日本は、組織としては素晴らしいサービスを提供しますが、全体主義の弊害として、
その中で働く個人の自由や権利が見過ごされていると感じることもあります。
最近は「多様性、インクルージョン」という言葉をよく聞きますが、
組織のあり方、そこで働く個人のあり方も、少し高いグローバルな視座で見てみると、
色々と新たな気づきがあるかも知れません。
投稿者プロフィール

- 自分軸&リーダーシップコーチ
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自分軸&リーダーシップコーチ
ニュージーランド在住/アメリカ心理学学士
ナチュラルな女性のリーダーシップの在り方、自己イメージと意識レベルを変えるためのイベント等を2カ国で展開
(https://lit.link/SallyinNZ)
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