暦の歴史と香り

こんにちは。ライフスタイル部門・香あそびを担当するKubota Hiroです。
よろしくお願いします。


ふるとしに春たちける日よめる  
年のうちに 春は来(き)にけり 
ひととせを
去年(こぞ)とやいはむ 今年とやいはむ

(『古今和歌集』春の歌・巻頭歌 在原元方)


『古今和歌集』では和歌が時系列で並んでいて、春なのに雪が降るか、
梅が咲く、桜が咲く…と、季節の変化がリアルに感じられるんです。
これは年末なのに立春がきちゃった、という歌です。


さて、そんな春を感じる時期にぴったりな「暦」のお話。
暦が日本に伝わったのは飛鳥時代のこと。 大陸から来た僧侶からと言われています。

奈良時代になると律令制のもと、陰陽寮が暦を担当するようになりました。
当時の暦は月の満ち欠け(29.5日周期)に基づいて、
29日と30日の月を組み合わせて1年を作る仕組み。
ただ、やっぱりだと太陽の動きとズレてきちゃうんです。
そのズレを直すために「閏月」が導入され、何年かに一度1年が13か月になるという
仕掛けが誕生しました。大変複雑な計算なんです。


暦はただ日付を示すだけでなく、季節や年中行事、吉凶まで記されていたため、
貴族たちには必須アイテムでした。この余白に書かれた日記がまだ残っています。


江戸時代に入って暦の計算はますます複雑になり、
実際の季節とズレが生じるようになりました。
そこで「貞享の改暦」大という改革が行われます。
中国から届いていた計測方法を日本の緯度に合わせて計算し直し、
幕府天文方と京の陰陽寮で何度も計算が繰り返され、毎年暦を作成されました。


複雑化する暦。決して素人が作れるような代物ではありませんでした。

そうして決定した暦は江戸の町で印刷され、庶民にも広まりました。
大小暦と呼ばれたそれは江戸で大人気。小売店で制作されてお得意先に配りあるいたり、
交換したりまさにカレンダー。


絵師、鈴木春信がカラー印刷の大小暦を作成しました。
それは大人気となり、暦の部分を切って残りを(あまりにも美しいので)飾るようになって、
これが東錦絵、つまり浮世絵の誕生にもつながりました。


暦の上では春。春の香りは梅からスタートです。
そろそろ関東では梅が咲き始めていますね。
梅の香りを楽しみつつ、春を探して見てくださいね。

投稿者プロフィール

KubotaHiro
KubotaHiro香人
香道を探求する香人。
小学生の時に読んだライトノベルの2ページで興味を持って無理やり入門。
香道ありきで大学に進学し、学芸員に。
香りと古典文学、アートを繋げる活動をしています。
パラレルキャリア専門エール通信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です