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INTERVIEWS
自分を極めた生き方
自分軸を固めたら即行動。最後は情熱が成果を生む。

─ November 2019

河野 万里子
株式会社色彩舎 代表取締役 
一般社団法人カラータイプ協会代表理事
四天王寺大学非常勤講師/カラービジネスコンサルタント

大学卒業後、社長秘書などを経てドイツ1年、中国3年の海外生活を送り、西洋と東洋の色彩感覚を磨く。2002年に色彩舎を創業。2009年には色彩心理学を追求したカラータイプ®診断システムを開発。カラータイプインストラクター協会(現:一般社団法人カラータイプ協会)を立ち上げ、カラーによる自己・他者分析、カラーコミュニケーション学を広めている。現在は「カラーは世界の共通語」を合言葉にカラービジネスを展開中。


河野代表理事の主な活動内容を教えていただけますか?

私の仕事は、カラーに関わること全般になります。色彩心理や色の影響力などを人や物に対して有効に使うことをしています。個性のことを例える時、「あの人のカラー」という言い方をしますが色が組み合わさって美しい世界になるように、一人一人の個性がいろんな色を持っているから、社会が上手くまわる、ということを世の中に広げる活動をしています。

起業を決意したきっかけは?

起業は30歳で決めていました。女性のキャリアは、寿退社か、結婚して転勤したら終わる、という時代だったので、自分の人生を全うするには手に職をつける仕事スタイルで起業しかないと決意しました。その後、夫の転勤や出産もあり、8年間の準備期間を経て、実際に起業したのは39歳になります。

なぜ今の事業を始めようと思いましたか?

20年前の日本は、カラー教育がまだ定着していないと思いました。それは街並みにも関係していて、日本の食事はカラフルだし、十二単衣などの文化もあり、独自のセンスで色に対して鈍感ではありませんが、街並はヨーロッパのような統一感や美しさがありませんでした。全体的な美意識のところだけスコンと抜けていて社会に対してプラスの配色ができていないと感じました。カラー教育が十分じゃないなら、私がみんなに広がるように、性格診断みたいなものでカラーの重要性を伝えようと思いました。

ゼロから起業で人脈はどうやってつくりましたか?

まず1つ目にしたことは、自分ができるカラー教育が素晴らしい!と思うこと。そして2つ目が、パッション(情熱)。経験値や年齢に関係なく、この二つが人の心を動かしたと思います。2003年に衆議院選挙のイメージコンサルタントをさせていただいたことがありますが、ホームページも実績もコネもなかったのに依頼されたのは、ある懇親会で一緒になった女性と気が合って、カラー教育について話したことからです。後日、彼女から連絡があって、選挙に出るのでイメージコンサルタントをして欲しい、と依頼されました。身振り手振りで熱意で伝えたことで最初の「0」が「1」になりました。

一番大変だったことは?それをどうやって乗り越えましたか?

私がカラー教育を始めた2002年は、周囲から物凄く敬遠されるものとして扱われました。それが屈辱的で悔しくて、どうしたら証明できるか悩みました。子供がまだ幼稚園で反対意見もたくさんありましたが、・・・

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