アストリッド・リンドグレーン〜「長くつ下のピッピ」誕生の背景〜

ビジネスライターの植竹希(うえたけのぞみ)です。
今日の歴史上の人物はアストリッド・リンドグレーン。スウェーデンの児童文学作家です。

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彼女の作品は世界70か国以上に翻訳されています。最も知られる物語はやはり『長くつ下のピッピ』でしょう。彼女の在り方が最も反映された作品でもあります。今日はこのストーリーが生まれるまでをお伝えしたいと思います。

「アストリッド・リンドグレーン」(1907年-2002年)
アストリッドは、1907年スウェーデン南部の小さな町の農場で誕生しました。自然の中で、木登りをしたり、川で泳いたり、アクティブな子供時代を過ごします。自身も「遊んで、遊んで、遊びました。“遊び死に”しなかったことが不思議」と書き残しているくらいです。

アストリッドの作家としての目覚めは、近所のお姉さんが、読み聞かせてくれた「おとぎ話」。魂が掻き立てられるような感動を覚えたのだといいます。

小学校に進む頃には、作文の才能が開花し始めており、クラスの友達にも「将来の作家」と一目置かれる存在になっていました。父親の紹介で、地元の新聞社で働き始めたアストリッドは、その新聞社の編集長と不倫の関係になり、18歳で彼の子を妊娠してしまいます。騒動を恐れた家族に諭され、アストリッドは逃げるように首都ストックホルムへ向かい、隣国の首都コペンハーゲンで長男ラッセを出産。

ラッセを里親に預け、アストリッドはストックホルムで働き始めます。生活は逼迫したものでした。なぜなら毎週末は、夜汽車で息子に会いに向かうお金が必要だったからです。とうとうある日、ラッセ恋しさに無断早退し、コペンハーゲンに行ったことがきっかけで仕事を解雇されてしまいました。

ですが、次の勤め先で出会ったステューレ・リンドグレーンと24歳で結婚。やっと手元にラッセを引き取ることができました。その3年後には長女カーリンが生まれます。

7歳になったカーリンが風邪で寝込んだ時のこと。カーリンが、いきなり「長くつ下のピッピのお話し、して!」とアスリッドにせがみます。アストリッドは「長くつ下のピッピ」というユニークな名前に似合うお話を即興で語り出しました。これが「長くつ下のピッピ」の物語の起源です。 

それから3年後の春。まだ寒い季節、凍った道で転倒したアストリッドは、しばらく歩けない状態になりました。退屈しのぎに『長くつ下のピッピ』をベッドの中でタイプ打ち、1冊を娘へ、もう1冊を大手の出版社に送ってみましたが、出版社からは差し戻しされます。しかし、アストリッドはくじけることなく、その年の秋にラベーン&ショーグレン社で公募した少女向け小説に応募。なんと銀賞を獲得したのです!

そして、翌年の児童向け懸賞小説に『長くつ下のピッピ』を送ったところ、今度は見事に金賞に輝きました。「女の子=おしとやか」という児童文学の常識を打ち破ったお転婆なピッピの物語は、大人には許しがたいものがありました。「主人公のピッピが反抗的すぎる。この本を読んだら子供たちは大人のいうことなんて聞かなくなる」と。でも、子供たちはこの本が大好きになり、絶大な人気となりました。それは、ピッピが何もむやみに反抗的なことをしているわけでなく、その行動で、何でも一人でできる強さと周りの人たちと仲良くすることの大切さをまっすぐに教えてくれる物語だからにほかなりません。

アストリッドの創作のベースは、なんといっても遊びまくった幸福な子ども時代でしょう。その記憶からインスピレーションを得て、「名探偵カッレくん」「やかまし村」「いたずらっ子エーミル」シリーズなど、次々に物語を紡ぎ出していったのです。

投稿者プロフィール

植竹希
植竹希株式会社メディカルデザイン代表取締役/メディア戦略プランナー・ディレクター
メディア戦略プランナー。伝えたいことを伝えたい相手に届けるためのPR・プロモーションのプラン・ライティング
(https://design-m.jp/)
パラレルキャリア専門エール通信

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