大事なのは平常心。どういう方法で切り抜けられるか

ビジネス部⾨ 歴史上の人物ビジネスライターの植竹希(うえたけのぞみ)です。
今日の歴史上の人物は田部井淳子(たべいじゅんこ)。登山や環境保護活動、被災地支援などの分野で77歳で亡くなるまで、精力的な活動をした女性登山家です。

米国のヒラリー・クリントンと娘のチェルシーの共著で、二人が感銘を受けた100人の女性の伝記、昨年全米ベストセラーとなった「The Book of Gutsy Women」でも、その生き方が取り上げられ注目を集めていました。歴史上の人物…というにはまだ早いかもしれませんが、是非ともパラキャリ内のメンバーにも知ってほしい人物です。 

「田部井淳子」(1930年-2016年)

福島県の小さな町で、7人兄弟の末っ子として生まれた淳子は、運動は苦手。だけれど野山で遊ぶのが大好きな女の子でした。小学中学年の頃に上った茶臼岳登山が、山に魅了されたきっかけに。それ以降、機会があるごとに続けていた登山。大学を卒業し社会人になった淳子は、次第に最高峰にも挑みたい気持ちが強まっていきます。

1969年には「女性だけで海外遠征へ」を合言葉に「女性登はんクラブ」を結成します。このクラブは男女の体力の違い等からくるストレスを回避し、気兼ねなく山を登りたい気持ちから発足。目指したのはエベレストでした。外務省を通じてエベレストがあるネパール政府から許可を得る、数千万の資金集めのために企業スポンサー探しに奔走するなど、次々と降りかかる門題…。スポンサー探しは特に難航しました。当時「女性のみの団体」というだけで、賛同がもらえないことも。こうして申請許可から約3年の月日を費やしました。

その後、入念な準備を終え、臨んだエベレストですが、頂上を極めるのは到底容易ではありません。テントを飲みこむほどの雪崩や高山病の続出。続行を危ぶまれましたが、最終的に頂上を目指すアタックメンバーに淳子は選抜されます。女性初のエベレスト登頂者になったのです。その後も世界各国の名だたる山々、モンブラン・キリマンジャロなどを登り続けます。1992年には女性で、世界発の7大陸最高峰登頂者の記録を打ち立てるのです。

淳子が登山を通して私たちに語りかける言葉が多く残っています。その一つをここにご紹介します。

大事なのは平常心。どういう方法で切り抜けられるか、頭で考えることができるのが人間。
だからそのときにオタオタしない

困難がやってきたら、ただ耐えるのではなく、「なかなか体験できないこと」と、プラスにとらえて考える、むしろ楽しむ。一歩一歩、前へ確実にすすみ、登り切った淳子の人生。素敵だとは思いませんか? そんな7月28日今日は、東日本大震災の翌年から淳子が、日本一の山に登ることで、自信をつけ、高校生自らが復興の力になって欲しいとはじめた「東北高校生の富士登山」が行われます。

今年は15人の高校生が頂上を目指しアタックします。

投稿者プロフィール

植竹希
植竹希株式会社メディカルデザイン代表取締役/メディア戦略プランナー・ディレクター
メディア戦略プランナー。伝えたいことを伝えたい相手に届けるためのPR・プロモーションのプラン・ライティング
(https://design-m.jp/)
パラレルキャリア専門エール通信

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