ビジネス部⾨ 歴史上の人物ライターの植竹希(うえたけのぞみ)です。
今日の歴史上の人物は神功皇后(じんぐうこうごう)。3~4世紀、日本の古代史を紐解く上ではずせない「古事記」「日本書紀」にも登場する人物です。
いずれの書も、歴代天皇で構成される中、天皇ではない人物にもかかわらず、神がかり的なスーパーウーマンとして紹介されています。
神功皇后(169?-269?年[1~2世紀]説、3~4世紀説あり)
幼き頃から聡明かつ容姿も優れていた神功皇后。日本書紀では「気長足姫」(おきながたらしひめ)、古事記では「息長帯比売」(おきながたらしひめ)と記されています。第9代開花天皇の曾孫にあたる氣長宿禰王の娘。母は朝鮮からの渡来人。この時代は、天皇を長とする「大和朝廷」が勢力を拡大しはじめていました。 また、天皇家では、ヤマトタケルの父・2代景行天皇が崩御したあと、息子の成務天皇が皇位に就きます。しかし子宝に恵まれず、成務天皇の異母兄弟であるヤマトタケルの子が皇太子に。これが神功皇后の夫となる14代仲哀天皇です。神功皇后は、仲哀天皇の即位後2年のとき、皇后として迎えられました。
神功皇后は、息子の応神天皇の在位が5世紀初頭前後とされていることから、3~4世紀頃活躍した人物のようです。※100歳まで生き、169~269年をその一生とする記述も。ここでは、一番有名なエピソードをご紹介します。
夫である仲哀天皇が、国の反乱をおさめに行く際、神功皇后は夢でお告げを受けます。「朝鮮半島に、すぐれたまばゆい宝であふれた国(新羅)がある。そこに向かえば、刀を血で汚すことなく、その国を必ず帰服させられる。そして反乱もおさまる」。このため、国内の反乱鎮圧を辞めるよう、夫に提言しますが、仲哀天皇は聞き入れず、命を落とすことに。神功皇后は嘆きますが、その後、夫の死を敵に知られないよう、戦いに出かけ、国の反乱を鎮めます。
時を待たずして、新羅征討も決意。髪をほどいて頭髪を海水にすすぐと、霊験によって髪は2つに分かれ、神功皇后はその髪を男子のように結い上げたという伝説も残っています。そうして男装した神功皇后は、亡き夫の子を身ごもっていたにも関わらずまた戦いへ。勝利をおさめました。
群臣を一つにした決意の言葉。失敗に逃げない勇気
「今、征討軍を派遣しようとしている。このことを群臣に託すが、もし、成功しなかったら、罪は群臣にあることになってしまう。それははなはだ心痛むこと。私は婦女であり、そのうえ不肖の身であるが、しばらく男性の姿となり、強いて雄大な計略を起こすことにしよう。上は天地地祇の霊力をこうむり、下は群臣の助けによって軍団の士気を奮い起こし、険しき波を渡り、船舶を整えて財宝の土地を求めよう。もしことが成功すれば、群臣よ、ともにそなた達の功績となろう。ことが成就しなければ、罪は私一身にある」
これが、日本書記に残る戦いの際の決意の言葉です。国家安寧を考え、一方で罪は臣下に及ばないと―。臣下たちは感動し、心を一つにしました。そして新羅の王は、神功皇后軍の勢いに圧倒され、戦わずして降参。さらに神功皇后は近国の百済、高句麗も帰順させ、三韓征伐を成し遂げたのです。
勇敢さと失敗に逃げない勇気、私たちもいつも、そうありたい、持ち続けたいと思えませんか?
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